DNAに従ってみる
6月入りました。
紫陽花も咲き始める。
そろそろ梅雨入りかな。
8月には入院手術予定で進んでいます。
長い間躊躇していた決断を今回できたのは、
今まで病院を変えて何度も検査でみたMRI画像。
今回MRIの画像は角度を変えて数枚見せてもらった。
その患部は・・・
そこに私の今までの悲しみや憤りや、苦しみなどが詰まっているように見えて、泣きそうでした。
熱いものがこみあげてきて、自分に「ごめん!」ほっといてごめん!!
こんなになるまで、我慢させてごめん!
そこから、
自分の体の声を聴くようにした。
もっともっと「私」になっていく事にした。
今のところ、他に悪いところはない、検査の結果悪性腫瘍でもない、
筋腫のある悪い患部を全摘出すれば・・・
今回は23年前に甲状腺を摘出し、摘出後の病理検査でガンがみつかり、その後長きにわたってお世話になっている担当医師の紹介で、23年ぶりにまた同じ病院で入院。
玄米食べたり、アロマ学んだり、少しでも良くなるようにいろいろしてみたんですけど、そこそこ悪かったら病院へGOです。
私の中の今までの悲しみや苦しみを全部、切除するんだなって思いがあるのでワクワクしてます。
→医者の白衣姿が好きなので、それも楽しみw
元の私に戻れる事へのうれしさで、ドキドキしてます。
トキメキがないとかドキドキしないとか、思ってたけど・・・
ドキドキする~~~!!
私の中のDNAが叫んでる!!
私のDNA
父と母の話し。(2人とも今は天国なので個人情報等問題なし)
私が小さかった頃、父は近所の商店街の路上で日本人形を売っていた。
的屋というものだった。
私が生まれて、父が結核になり長期入院、母は幼子の私を抱え、2人目をお腹に宿し身重のまま父の実家へ。
母は実家を勘当されていた。
母は厳しい親の元、地元に許嫁がいて結婚式まで行い、初夜に出戻った(笑)
その人がキライだったわけじゃなく、このまま田舎で決められた人と結婚し、子供を産んで・・・そういう人生を送りたくなかったのだと思う。
東京で父に出会う、父は11人兄弟の三男。子供が多く貧しい家庭で中学までしか出ていない。
父は読み書きも中学生レベルなので子供たちの成績には無関心。俺の子だから勉強できないのはしょうがないとテストの点数が悪くても父には怒られた事はない(笑)
貯金もしない、競馬もパチンコもする、たまにスーツ着るとやくざみたいになる(笑)
私、2歳下の弟、次3番目が出来た時に父は、ようやく就職する。
学はないが、免許だけあるってことで運送会社へ。
父が母と結婚する前から片思いだった蕎麦屋の娘の名前を生まれた私の名前にする。
ある日、家族でその蕎麦屋に行った際、父は私を別の名前で呼んだそうで、母は驚いて、蕎麦屋の女性が娘の名前だったとその時知りとてもショックだったそうな。
自分の好きな人の名前を娘につける、ここまでは△
自分の娘の名前を別の呼び名で呼ぶってそれは×でしょ~!
生き方じたいが昭和の日活系、自由人、
そんな父と一緒になった母って。。。(笑)
決して平凡な人生だったとは思えないけど、
そんな父と母の関係は苦労も多かったけど、いつでもそこには朝ドラなみの「愛」があったと思える。
そんな2人のDNAを継いでいるので、私も・・・
普通な道を歩めないのかもしれません。
※見た目ふつうですけど。。。
それでも、人生の時々でいろんな人の愛情を感じて生きている。
ホントに感謝しかない。
自分に素直に、本来もって生まれてきたDNAに従ってみる。
新しい道を模索しながら、謳歌してみたい!
旅がしたい。
温泉に行きたい。
ハワイで星空を眺めたい。
思った事をする、衝動に従って動けるように、
それをするための収入を得る。
それでじゅうぶんだね。