mori-sho DIARY

今、ココの私について

結婚適齢期

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頼らない頼れない

ちょっと思うところがあり、個人的な事を書いてみる。

結婚適齢期、一般的な感覚とは大幅にずれている。
20代前半に1度結婚をした。
私に結婚願望があったわけではない。
幼いころから女の子は安売りをしてはいけないという母の教育のもと、どんなに不良ぽい友人ができようが、朝までクラブで踊っていようが、なんだろうが、周りがその日知り合った男性とどこかへ消えてしまっても、どんな環境やシチュエーションになっても、ちゃ~んと家には帰る。クラスの女子たちと男子を取り合ったりという事もなく、育ってきた。

物心ついた時から、結婚したいとか、花嫁さんになりたいとか子供を産みたいなど思わなかった、それは今でも続いている・・・(すでに49歳ですけど・・・)

最初の結婚のときは、彼が母を味方につけ、将来は結婚を考えています、とかの密約を交わし、私の知らないところで、盛り上がっていたのでした。

今思うと、母が亡くなる前に花嫁姿を見せることができて良かったと思っている。
父は柄にもなく白無垢を着た私を見てうっすら涙目になっていたりだったし、式の当日、緊張感も高揚感もなかった私は夫の緊張したうわずった声の誓いの言葉に爆笑しそうになるのを必死でこらえるという最悪な花嫁っぷり。

人生のゴールは結婚じゃないと思っていたし、それは今でもそう思っている。

じゃぁ、何がゴールなんだろうか・・・(未だにわからないけど)

結婚後半年で母が心不全で亡くなる、私もバセドウ病になるという最悪の新婚生活。

専業主婦でいいよ、仕事しなくていいよ、好きなことしなよ、という優しい夫でした。
なんといい旦那だったんだろうか、なのに、私は仕事は寿退社をしたものの、主婦向けのパートでは物足りなくて、自分で自分のことはするからとバセドウが悪化しても、新居の神戸から東京へ月末月初の仕事だけを退社した会社に申し出て仕事をさせてもらってました。
⇒働かないことと病気になってしまった罪悪感で甘えることが素直にできなかった。

バセドウ病だと出産は見合わせることになり、結婚はしたものの、2人でこの先どう生きていくんだろう、なんてことを悶々と悩んでいました。

この時、何も考えないで、相手に全てを任せるくらいになれたら、もっとうまく行っていたのかもしれない。

私のバセドウ病は悪化を続け、不眠ぎみになり、イライラし、常に体温が高くなり、汗が出る。夏場はキンキンに冷やしたスイカを食べ続けるとか、もうとにかく精神的にめちゃくちゃになりました。夫の親戚からは、子供はまだか、とか、その病気はなんなんだ、とか責められるわけです。(今は甲状腺疾患は知られていますが、当時はあまり知られていませんでした)

母という絶対的自分の味方がいなくなった私にはこの状態での生活は限界になり、別れることを選択したわけです。

結婚式には母方の親戚も大勢来ました、身内や弟たちにも、結婚してお母さんが喜んだのに、なんで離婚するんだ!と方々にこれまた責められましたw

この時の心の叫び

私は結婚なんてまだしたくなかった!!

あ~あ~もっと自分の想いをしっかりわかってもらえばよかったと思うんです。誰かを幸せにするために、誰かを喜ばせるために、私は生きているわけじゃないんだから!!

その後もたま~に奇特な人に出会っても結婚という言葉が出そうになると、逃げてました。

思考が現実をつくるというのであれば、
自分の心を偽ると、病気になるのかもしれないです。
その後30代は仕事と父の入院やらと2歳下の弟が亡くなったりと、バタバタでした。
その時々で、結婚を視野に入れた出会いがありました、しかし、私は頼らなかった。
誰にも頼らずに、1人で奮闘します。
父が肝臓ガンの余命宣告を受けた時も、担当医や看護師さんにだけ頼って、周りに頼らず、笑顔で、最後まで乗り切ります。

あのとき、もっと近くにいた人や、私のこれからの事を少しでも考えてくれた人に対して、もっと本音で、もっと泣きわめいて助けてもらえばよかったのか・・・
泣いたって現実は変わらないじゃん!


この時の心の叫び

結婚とかより先に今目の前で苦しんでる父にあんた何ができるの? 

今になって冷静になると、私の視点は問題点にだけ集中しやすいってこと。

もしかしたら、泣いて現実は変わるかもしれない、とは思わなかったし、現実=今目の前にあるもの、目の前にある苦しみの中にすっぽり入りすぎていた。

もっと広い視点で手を差し伸べてもらってたのかもしれないのに、全部無視(笑)

結婚って、タイミングなんだろうね。

父が亡くなってこの10年1人で生きてみて、思うこと。

1人でこの先平均年齢まで生きるとするとあと40年近くある、
最後の10年は、病気がちだったりかもしれない。

たぶん、病気になったり、寝たきりになったりした時、1人じゃどうなんだろう。
⇒医師と相談し、看護師さんと相談し、公的機関に相談し、いざとなれば成年後見人制度をボケる手前で活用するとか・・・

そのころまでに、自分の終わりを選択できる尊厳死を自ら選ぶ事ができるようになっていればいいな、とも思っている。

なんか現実的
ロマンティックな方向にも想いをめぐらしてみる。
この人に出会えてよかった、そう思える人生でありたい、とは願っている。

辛い事を共有するよりも、
楽しいことを共有する方がいい。

もっともっと老いを感じるようになったとき、後悔するのだろか。。

幸せの感じ方はそれぞれだと思う、
私は・・・いろいろ能書きを書いたわりには、ふつ~に
守られて生きることが幸せなのかもなと思ったりします。

それって、親がいつまでも子を守るみたいに、子は守られてることに気がついてない場合も多い。

私の知らないところで、守ってくれてる人もいるのかもしれません。
姿は見えませんが(笑)

そういう事が、またあったら・・・

そのとき、逃げるのではなく、立ち向かうのでもなく、
戦うのでもなく、身を任せてしまっていいのかもしれない。

居心地がわるかったら、悪い!!嫌い!!って正直に言えばいいのだ。

私自身が古い考えの中から出ていなかった。
もっと自由な考え方の人もいるだろうし、結婚=子育て、飯炊き仕事、家族のお世話、家事全般だけじゃないよね。

今はひたすら自分の「好き」を集めている。

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